MONSTAR

おとぎ話を捨てて ぜんぶ 今ここで つくってしまおう

それが僕たちの魔法

リューンという物語におけるフローとダイという対の存在の話。





「歌い踊る」と「剣を磨く」
主役俳優と次期団長
魔法を信じる、信じない
過去に蓋をする、対峙できる
剣を手にしない、する
パンを分けてあげる、奪おうとする
剣と魔法
光と闇
奪われる、奪い続ける
救われたくて守りたい、守りたくて救われたい

「ぼく」「きみ、あなた」と「おれ」「おまえ」
こわごわと不思議そうな顔と、にこにこと楽しそうな顔


ぱっと思いつくだけでも、フローとダイにはこれだけの「対」になる部分があった。

平和を愛し歌い踊るフローと、平和を願って剣を磨くダイ。
1つ前の記事で散々書いたような対比に加えて、パンフレットでフローは一角狼座の主役俳優でリーダーだと言われていて、一方でダイは自警団団長のマーナムに「後継者にはダイがいい」と言われていた。大人になったら2人は一座の座長と自警団の団長になっていたのかもしれないね。幸せをつくる仕事と幸せを守る仕事を担う2人。


余談だけど、マーナムが「後継者にはダイがいい」と歌ったとき、フローがすっごく嬉しそうな顔するのが本当に好き。かわいい。自分のことみたいに喜ぶフローくんはかわいい。毎回ちょっとずつ演技は違うけど、「え?ほんとに!?ねえ、ダイがいいって言ったよ!よかったね、ダイ」みたいな声が聞こえてくる表情の変わり方。ダイにやったねって顔するのもそうだし、フローリアにダイだって、って教えて一緒に嬉しそうな顔するのも、本当に可愛らしい。あの舞台上で、フローはフローとして生きているんだなって1番思う瞬間はあのシーン。丈くんは間違いなくずっとフローなんだけど、あ、でも踊るシーンは丈くんだよね。一角狼座の曲でシャカリキに踊る姿は丈くんだーーーってなる。いやそれは置いといて、とにかく舞台中に丈くんを感じる瞬間はないんだけど、このシーンが1番自然に、演じてる感じもなく、フローくんって存在して生きているんだなって思う。うまいこと誰かに伝わってほしい。


はい。そして話を戻すと、2人のそのスタンスは、きっと魔法を信じるフローと信じないダイという対にも繋がっていると思う。この「信じる」「信じない」も2人の大きな対の1つだよね。物語の最初のほうは特に対照的に魔法に対する気持ちが描かれていた。

フローは、ダイスが魔法道具で魔法を使うと目をきらきらさせていたし、水晶玉の予見が当たって「当たった!」って喜ぶし(これはエルカが来たことが嬉しかったようにも見えるけど)、ファンルンが魔法の研究のために滅びの剣を探していると聞いたら「研究のためならいいよ」と言うし、「本物の魔法は調和をもたらしてくれる」と無邪気に言う。

だけどダイは、魔法を研究するダイスのことを小馬鹿にしているし、小さな力しか持たない魔法道具なんて役に立たないと言うし、エルカが通過の儀の道具を持ち出したのを知ったときは楽しそうに食いついていたのに「魔法」という単語を聞いた瞬間興味をなくすし、ファンルンが魔法考古学を専攻していると聞いて、「まほう、まほうって…」と呆れたようにぼやくし、魔法を信じるフローに「本物の魔法はないんだ」と言う。

魔法を信じていないダイの演技がすごく上手だなーって思う。滅びの剣に対して興味を隠し切れない、つい反応してしまう演技も好きだけど、序盤の魔法に対する興味のなさの表れがすごいと思う。


そもそもこの「信じる」って言葉を使う時点で、「魔法」は信じる気持ちがないと存在し得ないものなんだなと気付いた。信じる信じないの次元にない、存在が確かなものに対して「信じる」って言葉は使わないから。パンフレットには「フローは魔法が何かは分かっていないけれど信じたい、信じているという思いから演劇と言うツールを選んだ」と書いてあった。伝説がどうとか魔法が使えるかとか調和をもたらす力があったかどうかとか、そういうことはきっと実際どうでもよくて、大切なのは魔法を「信じる気持ち」だったんだろうなと。そうやってフローの中には確実に魔法が存在していたし、そしてその信じる気持ちがフローのことを支えていた。逆に、信じないと存在しない魔法なんて、みたいな気持ちがダイの中にはあったんじゃないかな。そんな不確かなものよりも、確実に自分の手で何かをなせる力がほしかった。


魔法を信じていて、本物の魔法があればこの世には調和が訪れる、と夢見るフローはどこか幼い。幼くて儚い。普段は、言葉遣いが悪かったり態度が大きかったりするダイを注意したり、代わりに謝ったりしていて周りに気を使える大人びたところがあるように見えて、そういうところでは幼さが見える。一方でまだまだガキっぽく見えるダイには、思ったままに思い切り行動できる強さがある。どちらも少しずつ大人で、でもまだ子供だった。同じ過去を持って、同じように育ってきたはずなのにこれだけ違いが出るのが面白いよね。お話の世界だからそういうふうに設定してあるだけなのは分かっているんだけど。


これだけ対の存在として描かれていたフローとダイは、滅びの剣の存在がなくてもいつかは対立していたのかもしれないと思った。「1は独占、2は対立」の2はフローとダイのことかなって。ちなみに1は滅びの剣のことかなとも思っているんだけど。


これだけ正反対の部分を持ちながらも、2人は幼なじみとして兄弟のように仲良く育ってきたわけだけど、いつか「対」ではなくて「対立」の2になっていた可能性もあるのかなと。自分と違うところが目に付くようになったり、もっとはっきり自分の意見を言うようになったり、衝突するような機会が来てしまったのかもしれない。何より、その違いに対して羨む気持ちや僻みの感情が生まれたりはしないんだろうかと思っていて。それはきっと私がフロー目線からこの物語を、ダイのことを見ているから思うことなんだけど、奔放に、自分の思ったままに自由に行動できるダイのことを、フローくんは眩しいと思わなかったのだろうか。

自分が怯えている過去と向き合える強さや、剣を磨いて着実に力をつけていく逞しさ、言いたいことだって言えてしまう物怖じしない性格。それを持っていないからフローは苦しいと感じているわけではないと思う。今は過去に蓋をしていてもいつかは向き合える日がくるかもしれないし、剣の代わりにフローは演劇を選んだし、周囲のことを気遣う性格は立派な長所だと思う。だけどやっぱり、自分にないものって眩しく見えるし、憧れる瞬間がきっとある。そしてその先の羨望って大きくなりすぎると僻みになるじゃないですか。劣等感やコンプレックスにもなる。ダイが大きくて、先に大人になってしまったように見えて、すごいと思う反面ときどき苦しくなったりはしなかったのかなあって、ちょっとだけ私が苦しくなった。


何よりもこれはそのまま、丈橋における丈くんのようにも見えてしまって。リューンを通じての丈橋というコンテンツは興味深さしかないから、丈くんと大橋くんのこともそのうち考えられたらなと思ってはいるところ。


そんな(というのはすべて私の妄想なんだけど)フローくんにとって何が辛いかと言えば、そんな葛藤を無条件に受け入れてくれる人がいないことだと思うんですよね。家族がいないこと。抱きしめてくれる人がいないこと。それに1番近いのはきっとダイなんだけど、そのダイと対立してしまうともう誰もいない。そう思うと、そういう背景がありつつも最後はダイを受け入れて抱きしめようとした(のかもしれない)と思うとすごく熱い展開ですね。なんてよくできた物語。


世界の果てと呼ばれる場所でダイと決着がついて、エルカとルトフの里に戻ってきたとき、エルカにはフローリアがいて、真っ先に、1番に優先して抱きしめてくれる存在があった。無事に旅を終えて幸せなシーンだと分かってはいるけど、あのときフローリアに抱きしめられるエルカを見つめるフローを思うと少し切なくなってしまう。フローには、そうやって1番に無条件に愛して抱きしめてくれる人がいないんだなあって。

そんなエルカの存在にも、苦しくなることはなかったのかな。エルカはダイ以上に明るくて強くて眩しい存在だったと思うし、この物語で一貫しての光はきっとエルカだった。それだけ明るくまっすぐにいられたのは、母親であるフローリアの存在が大きかったんじゃないかと。フローには壮絶な過去があって、もちろんそれが今のフローの幼さや過去に耳を塞いでしまう弱さの形成に大きく影響しているとは思うんだけど、そんな過去だけではなくて、それを大丈夫だよってただ受け入れてくれる人の存在がなかったことも大きいんじゃないかと思う。何も考えずに甘えたり、無防備に子供らしく振舞ったり、すべてを預けて安心したりすることができずにフローは育ってしまった。

そんな自分にないものを持っているエルカを見て、悲しくなったり寂しくなったりしなかったかなあ。苦しくなったりしなかったかなって、何目線なのか分からない感情でいっぱいになった。


ダイを探す旅に出る前に、エルカがフローリアに旅に出る許しをもらうシーンで、2人が話している間、フローはずっと2人に背を向けているんですよね。このときフローくんは何を思っているのかなってずっと気になっていて、気になっているんですけどどうしてだと思います?
私はこうしてフローのことを気に掛けてしまっているから、母娘が母娘でいるところを見るのがつらいとフローが心のどこかで思っているのかなと考えてしまって。んーー、エルカたちのことどう思っていたんでしょうね。


そうは言いつつも、フローはエルカのことが好きだったんじゃないかとも思っていて。最初にダイスが水晶玉を見て「もうすぐここにエルカが来る」と言ったときに「え、エルカが?!」って嬉しそうな顔をするし、何よりもとにかく焚き火のシーンのフローとエルカが可愛くて仕方ないよね。それにファンルンがエルカにちょっかいだしたらムキになってもう!って怒ったり、ふらふらの状態でもエルカを守るように裏切り者のファンルンの前に立ったり。そして「調和の3はきっとエルカのことだよ。エルカがいれば、なんでもうまくいくような気がする」ときらきらした顔で話したりもする。まだそれが恋心だと気付いていないくらいの淡い気持ちがすごくあったかくて可愛らしい。きらきらしてるよなーー

そんな気持ちを抱きつつ、時おり羨ましくなったり、いろんな感情を抱きながらエルカと、そしてダイと一緒にいたのかな。そうやっていろんな感情を知っていくこともきっと成長の1つなんですよね。フローが大きくなっていくことに必要なこと。この時期のフローくんとお話してみたいなってすごく思う。どんな気持ちでルトフの里で生活していたんだろう。




いつかは対立していたかもしれないフローとダイ。
だけどダイはフローに「俺にはお前がいる。道を誤ったときは、お前が俺を救ってくれる」と言った。フローのことを頼る強さが、信じる強さがダイにはあった。

パンフレットにはこう書いてあった。

「遠吠えは悲しさや寂しさから仲間を呼ぶ声だそうですが、声を出せるのは、耳を持つ仲間がいると信じるからなのでしょう。」

ダイは、フローは自分の声を聞いてくれると、応えてくれると信じていたから声を出せた。剣に支配されてどこかへ連れ去られてしまうときのダイの「リューーーン」って声は、きっと遠吠えに近いような、聞いてくれると信じているフローを呼ぶ声だったんだろうなと思う。


ダイはそうやって声は出せるけど、遠くの音や風の声は聞こえなくて、反対に声はなかなか出せないけど、たくさんの声や音を聞くことができる耳を持っていたフロー。

フローが声をなかなか出せなかったというのは、周りのことを気にしてしまう、そういうところだけは大人になってしまっていた部分とか、まだ幼くて自分がどうしたいという意思がぼんやりしていたように見えたところとか、ダイに「お前が俺を救ってくれる」と言われて「約束する」としか返さなかったことを指しているんだけど、なんとも言えず歯がゆいよね。ダイのことを救うフローのことは誰が救ってくれるんだろう、フローの声は誰が聞いてくれるんだろうって何度だって考えてしまう。そしてそんなフローは良い耳を持っているけれど、「聞こえてもどうすることもできない、ただ、聞くしかない」と切なそうに言う。


そんなところまで対の存在だった2人が、物語が進むにつれてだんだんと混ざっていくところがとても素敵だと思った。

ずっと遠ざけてきた剣を手にして、ダイを救う旅に出たフロー。
弔いの旅で明かりを灯す杖、つまりは魔法を手にしていたダイ。
「俺には何も聞こえない」と言っていたダイが、風の声を聞きながら旅を始めた。
声や音が聞こえても何もできないと嘆いていたフローが、風の声に、ダイの声に耳を澄まして、安心したような、満足そうな顔をして、何かを伝えるように笛を吹いた。


対立から調和に向かうことができて、物語は幕を閉じる。
ダイに風の声が聞こえるようになったのも、声が聞こえることに嬉しそうな顔をするようになったのも、2人が信じることができるようになったからだと思う。ダイは魔法を、フローはダイを。
そしてその信じる気持ちが2人を繋いでいるから、離れていてもきっと大丈夫。

信じることで魔法の力はきっと存在するし、そうやって魔法を生むこと自体が、2人にとっての「僕たちの魔法」だったんじゃないかな。
という明るく救いのある方向で終わりたい。終わってほしい。そうであれば幸せだなあと思いました。
2人にはこれから幸せな人生を歩んでほしい。